


1952年10月17日生まれ、東京都出身。主な映画出演作に、「北京的西瓜」(89)、「病は気から 病院へ行こう2」(92)、「真夜中まで」(99)、「金融腐蝕列島<呪縛>」(99)、「突入せよ!『あさま山荘』事件」(02)、「バーバー吉野」(02)、「かもめ食堂」(06)、「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」(06)、「それでもボクはやってない」(07)、「めがね」(07)、「プール」(09)、「トイレット」(10)、「マザーウォーター」(10)ほか。


私は、東京の代々木で生まれ、代々木で育った。
ふたつ年上の兄との二人兄妹、小さな商売で忙しい両親といるより、必然的に家では兄とのふたりだけの時間が多かったのだが、男の子の格好良さを気にし始めた中学生の兄のことを、ちょっとメンドクサイと思い始めた妹が、そんな兄と同じように、少しずつ胸がトキメキ始めたのが、東京オリンピックの開催だった。
高速道路の工事の音とともに、今までとはナニカ違う大人達のワクワクするようなそわそわ感が、小学生の私にも伝わってくるようだった。
そして、その日はやってきた。街中が、東京中が、日本中が一色に染まってしまったかのようなその日が・・・。
生まれて初めて遭遇するたくさんの外国人、何処からとも無く聴こえてくる浮き立ったような人達の声・・・。小学生の私としては、実態をいまひとつ掴めないままオリンピックの空気の中に巻き込まれたような気分だったのだが、ある日、学校の行事でオリンピック競技の観戦に連れて行って貰える事に成った。子供心に、バレーボールか、陸上競技かと、普通な期待感を持ってたのだが、連れて行かれたのは水球、大人に成った今思えば、かなり面白く興味のそそられる競技だと本心で思うのだが、ルールも知らない子供だった私には、何で水球というように思った記憶が有る。

やがて、そんな無知な子供の欲求不満を一気に解消してくれたのが、近くの甲州街道で観た、マラソン競技だった。
小学生の私にも、アベベの走る姿は、シンプルに美しいと感じられた。
東京オリンピックは、終戦から続く日本の大人達が思い描いた、繁栄へのシンボルのようなものだったのかもしれないなーと思ったりしますが、今も時々実家の近くを歩くと、様変わりした静かな町並みの向こうに広がる、ブルーインパルスが五輪マークを描いた空の辺から、その頃に生きていた人達の心のフワフワ感のようなモノが、時々ふわーっと降りてくるように私の耳に聴こえてくるような気がします。